1941年12月8日に真珠湾攻撃。その3年8か月後の1945年8月15日にポツダム宣言受諾の詔書がラジオで全国民に向けて昭和天皇の肉声で発表された。 「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」。 8月15日は敗戦の日である。その日の日記に日本人は何を書いたか。永六輔監修『八月十五日の日記』(講談社)はそれを追った本。読了。 三好十郎「ただ泣いた。何も考へられず」。芦田均「私は危うく泣出さむとして声を飲んだ」。海野十三「いっさい決まる。恐懼の至り也。ただ無念」。折口信夫「戦ひに果てしわが子も聴けと思ふかなしき御詔に涕かみたり」。峠三吉「ただ情けなく口惜しき思い…