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群像劇

読書

群像劇

ぐんぞうげき

「劇」とついているが演劇に限らない。

「それぞれの物語」を持った複数の登場人物によって進行していく創作物の総称。

大雑把に「大きな事件とそれを取り巻く人々」を描くタイプ*1と、「○○で◆◆な青春群像を描く」と形容されるような個々の登場人物に焦点を当てていくタイプ*2に大別できる。

この二つの要素を融合することはできるが、個々の登場人物を丁寧に描きつつ大きな事件を引き起こすというのは、必然的に物語のサイズを巨大化させることになる。


概略

単に個別の物語を集めただけであれば、それは「オムニバス」と呼ばれる形式である。群像劇と呼ばれる場合、それらの物語の間になんらかのつながりが存在していることが前提となっている。

例えば、それらの物語がより大きな物語の一部をなしている*3とか、直接的に影響(作用・反作用)を与え合っている*4とか、時間と空間が共通しているので否応なく関連性が発生する*5とかである。

なんでそんな手間のかかることをやるかというと、ストーリー的なメリットと、感情移入的なメリットがある。

「大きな仕掛けは小さな仕掛けによって支えられている」

登場人物を増やすことのストーリー的なメリットとしては、「大きな事件」を大きなまま扱うことができるということがある。

群盲象を撫でるという言葉があるように、「大きな事件」の全体像は個人の手に余るものである。

登場人物を増やすということは視点を増やすということであり、つまりはいろいろな立場からの視点を増やすことで、「大きな事件」を多面的に描けるようになる。極端に言ってしまえば、視点が一個しかない場合、例えば「大地震が発生した→倒壊した家の下敷きになって死亡」で物語が終わってしまうことになる。

また、「別々に進行していた話が実は互いに関連があり、クライマックスにおいてはすべてのパーツが収まるべきところに収まり全体像が明らかになる」というジグソーパズル的要素を持つプロットも可能となる。


キャラクター

人間の理解力には限度がある。三一致を持ち出すまでもなく、見ている事象が次々に切り換えられてしまったら、何が何だか分からなくなる方が普通である。

この問題へのもっとも簡単な解決策は、物語の中に一人の主人公を配置して、その周囲にスポットライトを当て続けた状態で話を進めることである。観客や読者や視聴者は、主人公だけに注目して感情移入しておればよい。

よいのだが、問題は感情移入しやすいのと、主人公に求められる資質とは必ずしも一致しないことにある。

この問題への対策も簡単で、要するに、「有能だが法を法とも思わぬような人格破綻者の探偵」を単独で出すよりは、「誠実な温厚な常識人であるワトソン博士」をセットにしておいて、そっちを語り手にしておけということである。

これをさらに進めるのであれば、「数打ちゃ当たる」を実現するために感情移入の対象を増やしていくという方法論になる。生身の人間は多面的な性格を持つ生物なので、それを複数の役柄に切り分けて分配してやれば、存外簡単に人数は増やせるものである。さらに重層的にするのであれば、違う性格を他所から持ってきて追加してもよい。

「この前久しぶりに○○を読んだら、△△がどういう気持ちでいたのかはじめて分かった気がした」

のように、そもそも受け手の側だってどこに感情移入して読むか、決まってるわけではないのだから。

*1:平たく言うと事件や状況が主役の話

*2:平たく言うと主役がたくさんいる話

*3:破滅的な災いが襲ってきた際に、それぞれの登場人物がそれにどう立ち向かうのか(もしくはどう犠牲になっていくのか)を描く、いわゆる「パニック超大作」はこのフォーマット

*4:単純に言ってしまえば、3人以上の男女からなる、恋愛なり友情なりを描いた作品のことだ

*5:「ヒルストリート・ブルース」を始祖とする、多数の事件が同時進行しているドラマはこのタイプ

目次
  • 群像劇とは
  • 概略
    • 「大きな仕掛けは小さな仕掛けによって支えられている..
    • キャラクター