大陸浪人多しといえど、およそ須藤理助ほど著名な志士も稀だろう。 彼がその種の活動に手を染めだした契機(きっかけ)は、明治三十七、八年の日露戦争に見出せる。 「皇国の興廃この一戦にあり」。国運を賭したかの戦役に、陸軍軍医中尉として参加していた。出征先で須藤が見たのは、際涯もない大陸的な風景と、亡国的窮境にあえぐ支那細民の姿であった。 (揚子江の日暮れ) それらの要素が、彼の精神を不可逆的に変質させてしまったらしい。 戦争が済み、凱旋したのも束の間のこと、郷里の人に手柄話をゆっくり語ることもせず、取って返すようにして再三海を渡って征った。 以降、支那大陸にて活動すること三十余年。 士官学校の教官役…