敬哀皇后

社会

敬哀皇后

けいあいこうごう

中国後漢から三国時代の人物(生年不詳 - 237年?)。蜀(蜀漢)の2代皇帝劉禅皇后張飛の娘(長女)。一説に母は夏侯氏張皇后とも呼ばれるが、単に蜀漢張皇后と言った場合は妹の張氏のことを指すことが多い。

章武?元年(西暦221年)、劉備の太子であった劉禅に輿入れし、建興?元年(西暦223年)に劉禅即位すると皇后に立てられた。

建興15年(西暦237年)夏6月に、夫に先立って死去した。南陵に葬られたという。

翌年の延熙?元年(西暦238年)春正月に妹の張氏が劉禅皇后に立てられている。

このことは外戚である張氏との結びつきを深めるための政略結婚であった可能性が高いが、これにより、『政略的結婚とはいえ、皇帝の后となるのであるから、姉妹そろって美女であったのであろう。その父である張飛は、実は美男子なのでは・・・』という憶測が巷で都市伝説化されるようになった。

三国志演義』では、張飛の娘が諸葛亮の勧めで劉禅と縁組する場面がある。

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