原田哲也

スポーツ

原田哲也

はらだてつや

1993年ロードレース世界選手権(WGP)250ccクラスワールドチャンピオン。彼のゼッケン31は、平忠彦がWGP250ccクラス初優勝時のゼッケン番号が由来。

1992年全日本ロードレース250ccクラスのチャンピオン獲得後、1993年からWGP250ccクラスにエントリー。開幕戦オーストラリアGPで同クラス元チャンピオンのジョン・コシンスキー?を接戦の末破ると、その後日本GPでも勝利し、チャンピオン候補におどりでる。第4戦のスペインGPで、ノービス時代からの親友であった若井伸之?が事故死したが、その後のレースを圧勝。その後、他のライダーが調子を上げ、勝つことができなくなるが、スペイン、ハラマサーキットでの最終戦で、若井選手の両親が来ている中で、逆転でチャンピオンを獲得。デビューシーズンをチャンピオンで飾る。ただし、ヤマハの待遇は悪く、凱旋帰国時、飛行機はエコノミーだったらしい。(この時、チーム母体がヤマハ発動機ジュビロ磐田ビジネスクラスで移動してた。)


その後、マックス・ビアッジと毎年激しいタイトル争いをするが、タイトルを獲得できず、アプリリアにスイッチ。その後2002年に引退。


イタリアでテレビCMに出るなど、イタリアでは非常に有名なライダーの一人。