古井喜実

社会

古井喜実

ふるいよしみ

官僚政治家、元衆議院議員、元厚生大臣、元法務大臣

1903年明治36年)1月4日、生まれ。1995年(平成7年)2月3日、死去。92歳だった。

鳥取県出身

1925年(大正14年)、内務省に入り、終戦直後に内務次官となるが、公職追放となる。

1952年昭和27年)、衆議院議員(当選11回)。

第2次池田内閣厚生大臣、第1次大平内閣法務大臣を歴任。

1983年(昭和58年)、政界引退。

そのほかの情報

ウィキペディアによれば、古井は親中派として知られ、1972年日中国交正常化の際にも大きく貢献した。ところが、その年、衆院選が行われたが、古井は落選。「外交は票にならない?」と一部支持者やマスコミをにぎわせた。その古井は、高齢にもかかわらず、選挙区をくまなく回り、1976年の総選挙ではトップ当選で返り咲きした。

1981年に永年勤続表彰を受けるが、その謝辞演説の際、「いまや、民主政治によって立つ選挙は、体力にあらずんば金力の戦いとなり、政治は富の神の支配する領域と化した」と率直な金権政治批判を述べた。このことで翌日の新聞に取り上げるなど大きな話題を呼んだ。