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古田大次郎

一般

古田大次郎

ふるただいじろう

1900年(明治33年)1月1日-1925年(大正14年)10月15日。

東京麹町に生まれる。

早稲田の英法科に入学。

1919年、大学部に進み高津正道と交友。

1920年の春、古田は建設者同盟に参加。

1921年7月、関東聯合大会の傍聴に行く。

1922年1月機関紙『小作人』を発行。

2月の初めに中浜哲とも親しくなり、しばらくして「社会改造の事業に自分の一身を捧げようと決心

中浜は早稲田の戸塚源兵衛に大きな家を借りて<ギロチン社>と名付ける。

1924年9月10日警察に捕まる。

1925年9月10日死刑判決が出される。弁護人の山崎今朝弥、布施辰治は反対したが、古田死刑を受け入れ、控訴せず、同年

10月15日午前8時25分、絞首される。

古田の純真な思いが表現された獄中手記『死の懺悔』が出版されベストセラーとなる。