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戸板康二

読書

戸板康二

といたやすじ

といた・やすじ。大正4年(1915)生まれ、平成5年(1993)没。劇評家、歌舞伎・演劇評論、推理小説家、随筆家


東京芝に生まれる。祖母は戸板学園の創始者の戸板関子。父の山口三郎は久保田万太郎三田で同窓の間柄。芝居好きの父により、幼少期から歌舞伎に親しむ。青年期になると、歌舞伎と合わせて、宝塚や新劇も熱心に見物した。暁星中学を経て、慶應義塾大学国文学科卒。暁星では串田孫一、七代目尾上梅幸と同級。慶應国文科での師は折口信夫で、折口門下の一級上の池田弥三郎とは終生友人だった。大学在学中の昭和10年より「三田文学」に劇評を書く。「三田文学」誌上の座談会の席で久保田万太郎と対面、以来終生、親炙した。

昭和14年、明治製菓の販売営業部門を担当する株式会社明治商店に入社。宣伝部に配属され、同社の PR 誌「スヰート」の編集に携わる。宣伝部長の内田誠が直属の上司となった。内田誠久保田万太郎宗匠をつとめるいとう句会のメンバーであり、徳川夢声とは府立一中で同窓。明治製菓の PR 誌「スヰート」の編集に従事することで、若くして多くの画家、文人と交流する機会を得た。また、いとう句会に同席したりと、公私ともに大いに内田誠の薫陶をうける。

昭和18年に「スヰート」が休刊になったのを機に明治製菓を退社、折口信夫の紹介で1年間女学校の国語教師となったあと、昭和19年に久保田万太郎が社長をつとめる日本演劇社に入社、「日本演劇」「演劇界」の編集の現場に入ることで、職業として演劇の現場に携わることとなった。敗戦後の雑誌創刊ラッシュのなかで、多くの演劇雑誌に執筆の機会を得、劇評家として着実に地位を築く。昭和25年に日本演劇社の倒産に伴い、筆一本の生活となり、以来、生涯にわたって、健筆をふるった。

昭和33年江戸川乱歩のすすめで推理小説にも手を染め、「宝石」に『車引殺人事件』を発表、好評を持って迎えられ、昭和35年、第42回直木賞を受賞。玄人はだしの名探偵、歌舞伎俳優・中村雅楽を主人公にした「雅楽シリーズ」が推理作家としての代表作。

さらりとした達意の文章が身上の随筆の書き手として、また、「銀座百点」誌上の座談会銀座サロン」をはじめとする座談の名手としても活躍。「ちょっといい話」シリーズはベストセラーとなった。東京山の手育ちならではの都会的エスプリが身上、と評される。


矢野誠一の著作に『戸板康二の歳月』(文藝春秋、1996年)がある。冒頭は、《夏目漱石『心』の書き出しを気取るなら、「私は其人を常に先生と呼んでゐた」ということになる》。