本名広津直人.小説家(1861-1928).長崎出身.東大中退. 農商務省などに務めたが放蕩などのために非職となり,浪人生活をおくる.1887(明治20)年に政治小説『女子参政蜃中楼』を発表.1889(明治22)年に硯友社の同人となり,それから破滅的な生を描いた作品を次々と発表し,「深刻小説」と命名された.広津和郎は子。 代表作『変目伝』『黒蜥蜴』『今戸心中』『雨』など.
筆で所感を記す事も「筆まめ」な性質なので暇さえあれば何か書いてみたくなる。 明治三十六年十二月頃、大阪新報(時事新報と姉妹関係の新聞)で翌三十七年の辰年に因んだ御伽話の懸賞募集があった。早速応募した所当選して一月末の新聞紙上で発表された。 題名は「龍の天上」という題で一匹の龍次郎という龍の子供が乙姫様に天上したいから暇を下さいと頼んだが年が若いからと許されなかったので友達の鰐と相談して東京へ出て一軒の紙凧屋へ行き主人に頼み込み自分は秘術を使い紙凧に貼りついた。そして元旦に太郎君に買い取られた。それを知らない太郎君は喜んでそれを揚げた所他の物より高く揚がって行くので大喜びだった。一方龍の龍次郎君…
文マヨイベント [概要] 2021年12月以来の期間限定スカウト【DRAGON HEADスカウト】が復刻開催!!「DRAGON HEAD」キャラクターの「SSR[龍頭抗争]中原中也」、「SSR[龍頭抗争]織田作之助」、「SR[龍頭抗争]太宰治」、「SR[白麒麟]澁澤龍彦」が再登場(2024年4月9日14時から4月23日13時59分まで)🙌 [感想] 初登場はなんと約6年前。今回までに5回の復刻を経て、ついに6回目の復刻スカウト。6年前一体何をしていただろうか。またそんなことを考えると感慨深いけれど、こうして復刻を幾度もしてくれると大変ありがたいですね。 [考察] さて、「SSR[龍頭抗争]中原…
文マヨイベント 昨年3月23日に到来した期間限定イベント「彩色輝く港街」の際の期間限定スカウトキャラクター且つ特効キャラクターである「SSR[彩色]広津柳浪」と「SSR[彩色]立原道造」が再登場(2024年4月8日14時から4月22日13時59分まで)🙌 しかし今回は期間限定イベント「彩色輝く港街」は開催されていないため、昨年イベントキャラクターとして登場した「SR[彩色]樋口一葉」はゲットできない。 スキルマにしてあるから問題ないけど、階層にも使えるし(私の階層の取り組み方はまた後日)、いればいるだけハッピーなので、今回ないのは少し残念といえば残念かな。他の復刻イベント来てるからかしらね。ま…
今回の投稿の発端は以下。 大正時代のコンカフェ(女給さんのいるカフェ)でも、・ドリンク一杯で6時間粘る・1日に8回来る・年甲斐もなく女給に惚れる・偉そうなホラばかり吹く・鉈を持ってくる(?)といった厄介オタクがいたのだなぁ。 pic.twitter.com/bjPESV2jix — 🐦なげき🐦 (@nagekinoumi) 2020年5月15日 あ、「鉈(なた)」じゃなくて「蛇(へび)」だ!今更気づいた😂物騒には変わりないけど — 🐦なげき🐦 (@nagekinoumi) 2020年5月16日 「鉈持ってくる」が「弱い癖にけんか」より格下?と思ったらそういうことですかw — アルビレオ@炙りカ…
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 銀座のカフェーの女給君江は、容貌は十人並だが物言う時、「瓢の種のような歯の間から、舌の先を動かすのが一際愛くるしい」女性である。この、淫蕩だが逞しい生活力のある主人公に、パトロンの通俗作家清岡をはじめ彼女を取巻く男性の浅薄な生き方を対比させて、荷風独特の文明批評をのぞかせている。 永井荷風(1873-1959)は、幼少期より文学に興味を持ち、江戸時代の戯作文学に多く触れて育ちました。早々に文士として目覚めると、小説家である広津柳浪に弟子入りをして、巌谷小波の催す句会を中心とした文学サロン「木曜会」に参加します。また、小説家の三宅青軒に紹介され…
24時間勤務アケで、竹橋から飯田橋まで散歩。 ◆竹橋 ◆中坂 坂下。 坂上。 江戸時代初期に徳川家康が視察に来た時、付近の農民である飯田喜兵衛が案内役を務め、それ以降喜兵衛が名主となったことから、この地域を飯田町と呼ぶようになりました。元禄十年(1697)の大火の後、村近の武家屋敷が移転した際、新たにこの坂が作られ、飯田坂と呼ばれました。その後、南にある九段坂と北にある冬青木坂の中間に位置することからわれるようになりました。現在では九段坂(靖国通り)が交通の中心ですが、江戸時代には中坂が重要な交通路であり、多数の商店が軒を並べていました。また、神田祭の山車などはみな中坂を通りました。 ◆築土神…
【今日は何の日】 *海の日 (2013年・2019年・2024年)※7月の第3月曜日 *中元 →半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日 もともとは正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元をあわせて「三元」とする中国の習慣が伝わったもので、日本では「盂蘭盆会」と日が重なったことから、祖先の霊を供養し、両親に食べ物を送るようになった この習慣が、目上の人、お世話になった人などに贈り物をする「お中元」に変化した *盆/盂蘭盆会 →祖先の霊を供養する行事。胡瓜や茄子で牛や馬の形を作りお供えする 旧暦や一月遅れで行う地方もあります *ファミコンの日 →1983(昭和58)年、任天堂が家…
永井荷風の母方の祖父鷲津毅堂の碑と墓へ行ってきました。 まずは隅田川にかかる白鬚橋を渡り、石碑が建つ白髭神社へ。 毅堂鷲津宣光(1825-1882)は尾張藩の儒者で、維新後は明治政府に仕え、登米県権知事、司法判事、司法少書記などの要職を歴任、東京学士会々員に列するなどし一八八二年(明治十五年)には司法権大書記官に就いたが同年十月五日五十八歳で歿した。荷風の父禾原永井久一郎は毅堂の弟子、母恒は毅堂の次女である。 白鬚神社の碑の表面の損傷は著しい。もっとも刻印がしっかりしていてもわたしの学力で理解するのは厳しく、さいわい毅堂の生涯と徳については 傍の立札で知れる。 毅堂が亡くなった翌年、のちの荷風…