広津里香

読書

広津里香

ひろつりか

旧字 廣津里香

画家であり詩人

 1938年、東京渋谷にて、広津萬里・松枝夫妻の子として生まれる。父親も詩人

 1956年金沢大学付属高校卒 大学入試の最、美術系の試験場まで行くも、試験を受けずに帰ってきてしまう。

 1957年津田塾大学中退

 1962年東京大学教育学部社会教育卒業

 1965年早稲田大学大学院英文学修士課程終了

 1967年、十二月十二日、油絵製作中にシンナー慢性中毒による悪性貧血のため死亡。

 画集に「不在証明」「黒いミサ」

 詩集に「蝶の町」「白壁の花

 日記類に「死が美しいなんてだれが言った」「私は優雅な反逆者」「Note de vivi」などがある。

 著書はほぼすべて絶版となっており、古本屋で多少売られているが値段が高く設定されていることがある。

 日記中に日本を非難する文章が数多く登場する。戦後、まだ女性に対しては封建的・否定的だった文化の中では、知的な一人の人間としての彼女は息苦しかったのかもしれない。

「周囲の人間が意味あると思い込んでいろんなことをやってるのを見ると、おかしくて狂人みたいに笑いたくなる。お前たち、お前たち、お前たち、まあ可憐な虫けらだこと!墓場を決勝点にそんなにせかせか動きまわって。日本なんて存在しなくていい国なのよ。東洋はとっくに消え去ってもいいはずなのに、宙に浮いた東洋という残骸、なぜそこに私がつっこまれてるのか。無意味だから、すべてが無意味だから。」

「日本では、いつも個人の権利は無視され続ける。大きな組織が決めると、理由も考えもなく皆従う。皆は何も考えない。当然のことを言うのが不協和音を奏でる結果になる。そして私は疲れ果て、いらいらさせられ続けて死んでいく。」

「生まれたときにすでに日本で死んでいたのだ。周囲にきれいな興味をひくものがなんにもない国。」

(「死が美しいなんてだれが言った」より)


 本人は留学を希望していたが、書類不備等によりかなわず(こういう例は当時よくあったらしい)アパートを借りてそこで油絵の製作をしていた。

 家族は誕生日にホテルでパーティを開くほど裕福(戦後まもなくの日本では驚異である)で、彼女のためにアトリエを製作中だったが、完成前に本人が亡くなってしまった。

 群ようこ氏が「生きる読書」内で彼女についてくわしく記述している。詩も紹介されている。