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航空救難団

社会

航空救難団

こうくうきゅうなんだん

[英] JASDF Air Rescue Wing

航空自衛隊航空救難団は、航空自衛隊航空総隊に隷属する航空自衛隊の捜索救難(航空救難)の中核を担う組織。航空救難団司令部および飛行群本部は入間基地にある。

主に、自衛隊航空機に事故が発生した場合、その搭乗員の捜索救助を任務としている。また、主にレーダーサイトなど飛行場のない基地への人員及び装備品等の空輸、国民の生命、及び財産を守るための災害派遣も行っている。

部隊

救難隊

救難隊は、下記の全国10ヶ所に所在し、 主に、自衛隊航空機に事故が発生した場合、その搭乗員の捜索救助を行う航空救難、及び都道府県知事、管区海上保安本部長等の要請により患者空輸等の災害派遣を実施している。

通常は、様々な航空救難、災害派遣状況を想定した訓練を行いながら救難待機を実施している。

ヘリコプター空輸隊

ヘリコプター空輸隊は下記4個ヘリ空隊からなり、主にレーダーサイトなど飛行場のない基地への端末輸送や、災害派遣においてその大きな空輸能力を生かし、 被災者救助や、救援物資輸送で活躍している。

中でも入間ヘリコプター空輸隊は、マザースコードロンとして最初に創設された部隊で、空輸任務の他、CH-47Jの操縦士と整備員の教育も行っている。

整備群

航空救難団の整備群は小牧基地にあって、救難団の保有する3機種、UH-60J救難ヘリコプター、U-125A救難捜索機、CH-47J輸送ヘリコプター及びU-125Aとほぼ同型の飛行点検隊のU-125飛行点検機の決められた飛行時間ごとに実施する定期検査を主に担当している。

救難団の航空機は全国各地に散在している10個救難隊、4個ヘリコプター空輸隊と救難教育隊に配備されており、決められた時間に達したところで、整備群に機体をフェリーして、機体の分解点検を行い、必要があれば修理して、再び部隊に送り返す作業を行っている。

また、航空機の他にUH-60J救難ヘリコプター、U-125A救難捜索機のフライトシミュレーターの維持管理も行っている。

救難教育隊

救難教育隊は、1958年10月に創設され、航空救難団の中で最も長い歴史を持つ部隊として小牧基地所在している。

航空救難団の操縦士(パイロット)、救難員(メディック)、機上整備員(FE)、機上無線員(RO) は、救難教育隊で教育を受けてから、救難団隷下部隊へと配属されていく。

パイロットの操縦教育は、UH-60J救難ヘリコプター、U-125A救難捜索機の2機種であり、救難員は毎年救難員学生として選抜され、「地獄」と例えられるほど過酷な教育が約1年間にわたって行われている。

沿革

1958年3月18日、臨時救難航空隊編成(浜松)。

1958年10月1日、臨時救難航空隊を救難航空隊に改称。

1959年2月1日、千歳救難分遣隊新設。

1959年5月15日、小牧救難分遣隊新設。

1960年3月1日、新田原救難分遣隊新設。

1960年7月1日、救難航空隊本部入間基地へ移動。

1960年9月20日、松島救難分遣隊新設。

1961年3月1日、小松救難分遣隊新設。

1961年7月15日、救難航空隊を航空救難群に改称・改編。芦屋救難分遣隊新設。

1963年1月25日、入間救難分遣隊新設。

1964年12月1日、各救難分遣隊を救難隊に改称。

1965年11月20日、百里救難隊新設。

1966年12月15日、新潟基地隊を航空救難群に編入。

1967年10月25日、新潟基地隊を廃止、新潟救難隊新設。

1968年10月1日、入間救難隊を廃止。

1971年3月1日、航空救難群を航空救難団に改称。飛行群新設(群本部入間)。整備群新設(小牧)。救難教育隊は浜松から小牧へ移動。小牧救難隊浜松へ移動し浜松救難隊に改称。

1972年10月30日、臨時那覇救難隊新設。

1973年10月16日、臨時那覇救難隊を整理し、那覇救難隊新設。

1987年1月29日、臨時秋田派遣隊新設。

1987年3月31日、臨時秋田派遣隊を秋田救難隊に改称。

1987年10月1日、臨時入間ヘリコプター空輸隊新設。

1988年10月1日、臨時入間ヘリコプター空輸隊を入間ヘリコプター空輸隊に改称。

1989年3月16日、組織改編により、航空支援集団へ隷属。

1989年3月31日、三沢ヘリコプター空輸隊新設。

1992年3月31日、那覇ヘリコプター空輸隊新設。

1992年5月22日、春日ヘリコプター空輸隊新設。

2013年3月26日、部隊改編により航空支援集団から航空総隊に隷属。

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