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香田誉士史

(スポーツ)
こうだよしふみ

アマチュア野球選手・指導者。
右投両打、ポジションは外野手。

1971年4月11日生まれ。佐賀県佐賀市出身。

佐賀県立佐賀商業高等学校で1988年、夏の甲子園に出場。
1989年には、春夏連続で出場。本塁打を記録。

卒業後、駒澤大学に進学。
中堅手として、本間満高木浩之らと共に東都大学野球リーグで活躍。

1994年、母校・佐賀商業高校の臨時コーチを務め、夏の甲子園で優勝を果たす。


卒業後の1995年、駒澤大学附属苫小牧高等学校の社会科教諭となり、野球部監督に就任。
氷上のグラウンドでの千本ノックやメンタル面のトレーニングなどで話題となる。
2001年、32年ぶりに駒大苫小牧高校を南北海道代表として、夏の甲子園に導く。
2004年、第86回全国高等学校野球選手権大会に出場、北海道代表校として史上初の全国制覇を達成。深紅の優勝旗の「津軽海峡越え」を果たした。
2005年、夏春連覇を目指した第77回選抜高等学校野球大会は2回戦で敗退したが、林裕也、佐々木孝介、松橋拓也らを擁し、第87回全国高等学校野球選手権大会では甲子園連覇及び国民体育大会・明治神宮大会も合わせた高校三冠を果たした。同年11月、部長の不祥事により監督を一旦退任。
2006年5月、監督に復帰。夏3連覇を目指して第88回全国高等学校野球選手権大会に出場、田中将大本間篤史らを擁して決勝に進出した。決勝では斎藤佑樹を擁する早稲田実業学校高等部と対戦、延長再試合となる激闘の末に惜しくも3連覇を逃したが、準優勝に輝いた。その後、監督を辞任した。
人指し指を1本だけ立てて「1」という決めポーズで有名。


佐賀商時代・駒大苫小牧時代を通して、多くの主力選手を地元選手で固め、逆転に次ぐ逆転を披露する魅力的な野球がファンを呼び、高校野球ファンに人気を博している。


2008年5月、鶴見大学硬式野球部のコーチに就任。
2012年4月、社会人野球の西部ガス硬式野球部のコーチに就任。

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