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黒溝台会戦

一般

黒溝台会戦

こっこうだいかいせん

1905年1月25日〜29日

前年10月、ロシア軍はアレクセイ・N・クロパトキン?大将が極東陸海軍総司令官となる。そして、1月の旅順陥落により日本の第三軍が北上することを知り、到着前に日本軍を攻撃することを計画する。

左翼の騎兵第一旅団を指揮する秋山好古少将は大攻勢の予測を満州軍総司令部に報告していたにもかかわらず、作戦主任参謀松川敏胤少将はこの時期には大きな攻勢はないものと考えており、9日のミシチェンコ中将指揮する騎兵集団による攻撃と同じく、今回のロシア軍の攻撃も威力偵察程度と見てていた。しかし、ロシア軍は第一、三軍を正面に対峙させ、グリッペンベルグ大将指揮の第二軍を西より進撃させ、黒溝台を占領する。これに対し満州軍総司令部は第八師団師団長:立見尚文中将)に攻撃を指示するが、敵の攻勢が大規模なのを見て、第一、ニ、四軍より、第二、三、五師団を抽出逐次投入することとなる。これにより臨時立見軍が編成され、第二軍に対し本格的な反攻を開始する。クロパトキン大将はグリッペンベルグ大将との不和より第一、三軍を積極的に攻勢させなかった。そして28日になってクロパトキンは沈旦堡攻撃の成功の見込みがないこと、日本軍の本格的攻勢を見て、第二軍を後退させ、ここに黒溝台会戦は終了する。

尚、この戦闘後グリッペンベルグ大将は病気と称して帰国してしまう。