宝永6年1月2日。永安寺肴屋の亭主清右衛門が貧しさのため腹を十文字に切って死ぬ。町の肴代は5日に払うはずであった。昨日、大津町下に住む成瀬内膳明組の御宿弾右衛門が大津町下で馬でやって来る生駒因幡に出くわした。道がよくなかったので片側によけると、徒(かち)の者がやって来たのでまた片側によけた。するとそちら側にも徒の者がやって来て道を塞ぎ、すり抜けて行った。弾右衛門は誰だと尋ねた。因幡とだけ聞いて別れたが、因幡がこれを見ていて人を遣わし、弾右衛門の名を尋ね、その上召仕の無礼を謝った。弾右衛門が言うには召仕の無礼はご覧になった通りである。自分も名を名乗るべきだが、馬上の使いには名乗りこともないので伺…