魂の神への旅程

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魂の神への旅程

たましいのかみへのりょてい

ボナヴェントゥラの代表作とされる。そこでは、諸階梯を経つつ、徐に神の御許へと近付いてゆく我々読者達の諸可能態と現実態としての旅路を歩一歩と歩む「巡礼」の諸様態が、この当時の世紀に入手可能であったあらゆる人文知をも総動員する形で*1、臨場感溢るる筆致で以って描破されていることが容易に本作読解の実際的過程(プロセス)に於いて、感得されうるものと筆者は信ずる。

さて次に筆者は、この著作を彼、即ちボナヴェントゥラが物する直前、彼自身或る重責を担わねばならぬ、自分の意には必ずしもそぐわぬ運命に直面していたのであったことについて一言しておこう。…それは即ち、「1257年2月2日、ローマで開かれたフランシスコ総会は、辞任したパルマヨハネの後継者として全員一致で総長職にボナヴェントゥラを選出したのである」と本訳書のその訳者による「解説――ボナヴェントゥラの生涯」(122頁)の中に記されている歴史的事実(つまり史実)を指示しうるものとして筆者によってこの段落冒頭にそう既に書かれたのである。当時フランシスコ会は、様々な内紛の諸要素を抱え込んでしまっていて、しかもそれらの淵源は「既にフランシスコの在世中に胚胎していた問題」にまで遡源しうるものでもある様なのであって、「フランシスコが没してより三十余年が経過して」かかる諸問題が今や、同「会を二分するまでに深刻になっていた」(以上、同書、123頁)。更に加之(しかのみならず)同会の外部からは「兄弟達の或る者達に対してヨアキミズムの異端に加担し与しているという非難弾劾の声があがっていた」(のだが、因みに、「この批判弾劾は、托鉢修道会の目覚しい発展を妬む在俗の教師達の中傷であった」(以上、同、122〜123頁))。

斯様にして内患外憂的諸情況に見舞われていた彼は、1259年10月、「師父」;「フランシスコの俤を求めて、〔この〕聖者の生涯に於ける最大の出来事の起こった聖なる地アルヴェルナ山に向った。この地を訪れた時の経緯と彼の気持ちは、この地で構想された『魂の神への道程』〔即ち本書〕の序文と最終章で彼自身が述べているが、若年にして「全くふさわしからぬ身ながら」引き継いだ総長職の重荷がいかほどであったか、内外の不穏な空気に心を乱されて、どれほど「平和を渇望し求めて」いたかが窺われる。彼はしばらくこの地に逗留してフランシスコの生涯に思いを馳せ、自分に委ねられた会の行く末に思いを凝らした」(同、124頁)。

*1:一例を挙げれば、この書には、新プラトン主義的光の光彩が、様々な形で露見している、と観うるのであることは、本書の訳書の訳者である故・長倉久子女史による指摘を俟って、初めて筆者に露見して来たのであった。