元禄17年1月22日。橘町裏で勧進能がこの日から始まる。太夫は小松六郎左衛門、ワキは三宅十郎左衛門。六郎は本願寺門跡の太夫と。この日、野々宮の皷を地役者が打とうとすると、そこへ京役者がやって来て打とうとした。色々と争いがあり、3番目の野々宮は半分で蝋燭を出す。残りは中止となる。平岩久兵衛の嫡母である前の妾は今は暇が出て、よそに住んでいた。今の妾がこの日能見物に出かけた。芝居で前の妾が見つけて、今ここで会ったのは幸いである。お前は前は自分の召仕の女であるのに、わが子を疎かにし、自分の方にくるはずの扶持も奪って自分の親類に与えている。すぐに行ってこの怒りをぶちまけてやろうと思ったけれど、わが子ため…