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嵯峨天皇

社会

嵯峨天皇

さがてんのう

第52代天皇。諱は神野

桓武天皇の皇子。母は藤原乙牟漏(式家・藤原良継の娘)

平城天皇の同母弟。光仁天皇の孫。

在位809年4月1日〜823年4月16日

病弱な平城天皇譲位を受けて践祚したが、平城上皇は旧都平城京に移り天皇上皇の間にいわゆる二所朝廷とよばれる対立が起こる。上皇平城京遷都の詔勅を発したことで内乱の危機となったが、天皇は迅速に兵を動かして機先を制し、上皇出家を余儀なくされた。上皇の寵愛を得た藤原薬子が重祚を目論んだものとして、薬子の乱*1とよばれる。

令外官である蔵人所・検非違使を設置。

在位中、唐風文化が栄え『弘仁格式』『日本後紀』『凌雲集』が編まれた。

詩文に優れ『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』等に漢詩を残す。

能筆でも知られ、空海・橘逸勢とあわせた三筆の一人。*2

なお、源氏で最も古い家系は嵯峨源氏である。

*1薬子の変

*2:『日本後紀』では、「奉為柏原天皇桓武天皇)、於西寺限七箇日、説法華経。別有朝議。請致仕大僧都-護命法師、為講師。公卿以下供其事、其経太上天皇嵯峨天皇)手跡也。紫紙金字、玉軸繡帙、一點一畫、有體有勢、珠連星列、爛然滿目。觀人称曰:『書聖。鍾繇.逸少、猶未足。云云。』」とある。