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差延

一般

差延

さえん

ジャック・デリダ(1930〜2004)の用語。

Différance

差異を意味するDifférenceの e を、その発音にひかれて時折なされるつづり間違いに従って a にいれかえて造語された。anceという名詞化語尾を持つことで能動態でも受動態でもない、「中動態」(ギリシア語などでの再帰的な態「自分自身を……する」)的な意味合いを持つようになる。

この入れ替えは声では区別がつかず、文でのみ区別が働く。このことは声もまた痕跡である限りで文であること、文である限りで、「音声中心主義」の想定する「声(直接性、純粋性)/文(間接性、不純性)」という階層対立は解体再編成(脱構築)されるという事情を想起させる。

フランス語でのdifferの二つの意味、区別する、異なる(間隙化 espacement)/猶予し、遅延する(待機 遅延化 temporisation)を同時に示唆することを目的とする。記号は他の記号との「間」が空けられることで区別可能になり、記号となる。また、記号は他の記号を示すことでしか意味を示すことはできず、記号は意味される「そのもの」を提示することを延期し迂回させることでしか意味しないが、意味されるそのものは、記号による迂回、延期を介してしか意味され提示されることはない。

同一者、存在者は、必然的に、それが何かを意味し、みずからを提示する記号でもある限りで、この二つの契機を持ったより「根源的な」働きであるDifféranceの効果でしかない。したがって、何らかの同一者、存在者を根源的なものとして立てること(形而上学)はできない。また、「概念」もまたこのような対象としての存在するもの、同一者であるから、Différanceは概念ではない、といわれる。

La différance

和訳
La différance 高橋允昭訳、(『理想』一九八四年一一月号デリダ特集)
英訳
http://www.stanford.edu/class/history34q/readings/Derrida/Differance.html

「差異」と「書く」こと 榛名 貢

http://www2u.biglobe.ne.jp/~katabami/haruna/200201sai_kaku.htm

「差異」の差異――ドゥルーズデリダ―― 檜垣立哉

http://wwwsoc.nii.ac.jp/paj2/thigaki.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~DQ3K-HRS/3gakki/kimura3.htm

構造主義批判の文脈

体系を構造主義的に共時態において捉えるとき、共時的体系を成立させている差異は時間性を持たない。しかしそのことによって構造主義的体系は、形而上学的な自己同一性を獲得し、動的変化をパロールのような外的偶然に求めなければならず、説明能力においても、政治的含意においても(既定体系の正当化という意味で)、欠陥を露呈していた。具体的には通時態と共時態の関係において理論的にアドホックな対処しかできなかった。

デリダ構造主義的体系を構成する差異(「言語には差異しかない」)そのものについて、二つの項を動的、時間的に、体系ではなく他の諸項との媒介的関係に関与させつつ、想定された直接的関係からは隔て、ずれさせる動きとして考えた。構造主義もまた差異を媒介されたものとして捉えたが、それは体系全体に一挙に媒介されたものとして捉えていた。しかしこれは、差異を直接的で透明な関係として捉えることの結果として、媒介の効果としての攪乱効果は無時間的にいわば経済学的な「均衡」に達してならされてしまい、存在しなかったのと同様になってしまう。そうではなく、差異をこのような媒介された遅延としての差延として捉えると、媒介作用それ自体が時間性を持つために、体系総体に一挙に関係が媒介されることはできず、必然的に、媒介作用は局所的なものとなり、「均衡」によって攪乱がならされることもない。こうして体系そのものの理解も異なってくる。

体系を構成する差異が、時間性を持ち、どこまでもいってもずれつづけ、誤配される差延であるということは、作動している体系の諸部分の時間的一致、周期性のシンクロが厳密には保証されえないということであり、体系の項の間の相互参照が「差異」におけるように安定した自己言及的ループの形をした相互定義を厳密には構成しえないということでもある。ここからシステムの動的性格、歴史性を肯定し、また説明することができるようになる。システムは相互規定の連鎖を自己完結的に閉じることはできず、つねに不安定性と外部との関係、局所的不一致を孕んでいるのであり、それが構造主義の説明し得ない体系の歴史的生成の条件となる。(無時間的な差異からなる構造主義的な体系は真の意味で内部に局所性を持たない。部分の作用が無時間的に(遅延なく)体系総体に反映するからである。)

政治的社会思想的含意

思想的、政治的含意として、個人に社会や組織が与える自己規定、自己同一性に合意することで、体制の構造主義的な相互参照体系、安定した自己言及的ループの同一性としての強化に寄与し、支配されてしまうことになるので、それに対抗するものとして、社会の側からの自己同一性を与え、問う働きかけ(アルチュセール的なイデオロギーの呼びかけ)に対し、引き伸ばし、ずらしが有効であるのだ、という文脈で、この概念を理解する解釈もある。

『法の力』では、政治的ゼネストプロレタリアゼネストの間に差延による汚染があるとされており、そのことが脱構築的な主体の責任/応答可能性(responsabilité)を可能にするとされている。