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細川護煕

社会

細川護煕

ほそかわもりひろ

政治家1993年8月から1994年4月まで首相を務めた。

略歴

1938年生まれ。東京都出身。1963年上智大学法学部卒業とともに、朝日新聞社入社1968年、退社。1971年より参議院議員。1983年から1991年まで、熊本県知事。1992年、日本新党結成、参議院当選。1993年衆議院当選、内閣総理大臣

総理大臣時代には、従来着席して行っていた記者会見を立って行った。また、歴代首相で初めてプロンプター(透明な板に下から文字を投影することで、紙の原稿を見ず顔を上げたまま演説などができるようにする機械)を導入した。しかしプロンプターを演台に寄せすぎて、透明板が顔に被るという醜態を見せたりもした。

1993年8月から1994年4月まで首相を務めた。

当初は政治改革への期待から国民から高い支持を集めていたが、国民福祉税導入を宣言したことにより急速に支持を失い政権は崩壊。

その後、1998年、還暦を機に政界引退。神奈川県湯河原陶芸を始める。

2014年1月10日、小泉純一郎首相から推薦を受けて東京都知事選への無所属での出馬を表明したが落選。

小泉純一郎とともに脱原発の国づくり運動に力を入れている。

細川藤孝(幽斎)*1より始まる、旧肥後熊本藩・細川家第18代当主。母方の祖父近衛文麿で、現近衛家当主の近衛忠莩?は実弟である。

*1細川藤孝自身は、細川家本家<当時:16世紀末に断絶し、それ以後細川藤孝の子孫が本家扱いされることになった>の京兆家(管領家)の遠縁の和泉上守護家出身