三浦啓之助

社会

三浦啓之助

みうらけいのすけ

嘉永元年(1848年)〜明治10年(1877年)2月26日

日本の武士。佐久間象山の子。

明治維新前は新選組に入隊していたが、慶応2年(1866年)頃に芦屋昇と共に新選組を脱走した。明治維新後は三浦恪と名を改め、司法省に出仕するも、警察官と喧嘩を起こし免職となる。その後は松山県裁判所判事として松山に赴任したが、明治10年(1877年)2月26日に食中毒で頓死した。