三島事件

社会

三島事件

みしまじけん

昭和45年1970年)11月25日午前11時10分から午後0時20分ころまでの間、陸上自衛隊東部方面総監室において、楯の会会長三島由紀夫(平岡公威)、会員ら4人が益田総監を監禁し、憲法改正のため自衛隊の決起を呼びかけた事件である。

本居宣長平田篤胤らの国学の影響を強く受けていた三島は、尊皇心が極めて厚く「天皇を中心とする日本の歴史、文化、伝統を守るのは国軍である」として憲法改正と国軍の創設を主張していた。自衛隊が70年安保闘争が起こった際に治安出動し、これを契機に憲法改正のため決起することを念願していたが、実際の安保闘争は警察力のみで処理されたためその時期を完全に裏切られた。三島自衛隊決起を促す手段として自ら行動し、総監室内で割腹自殺を遂げた(享年45)。

三島割腹して介錯された後、楯の会会員・森田必勝も割腹自殺享年25)。残った3人の会員が逮捕・起訴され、実刑判決を受けた。

ちなみに100名余りの会員を抱えていた三島の私設団体・楯の会は、三島の遺言どおり翌年解散した。