三無事件

三無事件

(社会)
さんゆうじけん

1961年12月12日、旧日本軍の元将校らが画策したクーデター未遂事件。初めて破壊活動防止法の適用により、有罪判決が下された。陸軍士官学校第59・60期同窓生の青年将校で構成される右翼思想研究会「国史会」が中心になった事から国史会事件とも呼ばれている。「三無」は無税・無失業・無戦争の3つの“無し”から取られたもので、老子の「無は有に転ず」から“さんむ”ではなく“さんゆう”と呼ばれていたという。

関与者

  • 川南豊作・・・首謀者 日本重工代表(戦時中は川南工業の代表として、戦争成金となっていた造船業者 公職追放で没落)
  • 桜井徳太郎・・・元陸軍少将
  • 三上卓・・・元海軍中尉。五・一五事件の首謀者
  • 小池一臣・・・陸軍士官学校卒の元青年将校(「国史会」会員)で印刷関連会社社長、元自衛官。
  • 篠田英悟・・・本土防空で鳴らした第343海軍航空隊のパイロット
  • 川下佳節・・・三無塾塾長・のち市川市議会議長。2006年12月死去
  • 池口恵観・・・事件当時・鮫島正純(事件後母方の姓に改姓)。馬場元治の秘書。2013年現在は鹿児島県の最福寺住職。

この他、武器調達に韓国の大物実業家・康烱吉、韓国陸軍少将・朴林垣、台湾の実業家・李樹森が関与。三無塾の他、右翼団体「菊旗同志会」が決起に参加する予定だった。未確認であるが、接触があったのではないかと疑われた人物には辻政信・源田実、自衛隊の現職陸将補や大隊長などがいたといわれる。

首謀者・主犯格者は揃って九州の出身とりわけ北部の者が多かった。このことは護国団で独自のクーデター論を展開した小島玄之の論評などにおいて注目に値する点として捉えられた。

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