山崎闇斎

読書

山崎闇斎

やまざきあんさい

●1616〜1682、京都。本名は嘉〔カ〕。垂加〔しでます〕とも号した。

●初め臨済宗妙心寺の禅僧となったが、性格が激しくて寺に安住できず、これを飛び出して谷時中に朱子学を学び、江戸の林家と並んで京都の雄として人気を博し、門人数千人を教えた。しかし吉川惟足〔ヨシカワコレタリ〕の門弟と論争して神道に開眼し、早速その足で伊勢神道の大家;渡会延佳に学んだ。継いで吉川惟足その人にも直接、「理学神道」ともいわれ・儒学を内包消化した「吉川神道」を学び、そのの奥伝を受け、「垂加」号まで授かり、「垂加神道」を開いた。

●吉川神道は適当な子孫が在らず、正当伝承者の萩原兼従〔はぎわらかねより〕は魚屋の息子の弟子;吉川惟足に四重奥秘を授けたが、これは吉川家にもまともに伝えられなかったので、拓本的に闇斎が推して知る位までは教わったようである。

●更に飽くことを知らぬ探求心旺盛な闇斎は、忌部・賀茂・御陵稲荷・・・・・・等々の当時メインであった神道を片っ端から学び極め、集大成していく。

●その終局は「アマテラス大神の道」と「猿田彦大神の教え」であり、「宇宙の本体」と「道徳の根源」は「国常立尊」〔くにのとこたちのみこと〕であるから、それぞれが正しい態度で「敬」〔つつしみ〕を貫けば天地と合一できるという、「天人唯一の理」を説いた。

●「朱子学*陰陽道*気学*神道=スーパー学問!」であり、幕府にも尊皇家にも広く支持を受けた。

●門弟=安倍泰福、玉木正英、正親町公通、出雲寺信直、大山為起、渋川春海、若林強斎、竹内式部、等々々。

国学水戸学、復古神道(は批判的摂取だが)の“青焼き”と成り、拡大解釈によって「尊皇討幕運動」や「王政復古」さえ生んだ。