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志村けん

アート

志村けん

しむらけん

本名・志村康徳。1950年(昭和25年)2月20日 東京?東村山市生まれ。

ザ・ドリフターズのメンバーであり、日本コント界の帝王。東京の外れにあった東村山の名前を全国区に広めた張本人。

ハゲてはいるものの、ドリフの中で一番若い。元々は付き人であったが、荒井注脱退により1974年にドリフターズのメンバーに加入。その後、東村山音頭の大ブレイクにより、その名を日本中に知らしめる。その後、加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ志村けんのだいじょうぶだぁ志村けんのバカ殿様など、流行となった番組を次々製作。一時期、死亡説が流れたが逆説的に言えば、彼の存在の大きさを改めて知らしめるエピソードであった。現在はバラエティを中心に活躍。現在、多くのお笑いタレントが尊敬するコメディアンの一人。

芸風はきわめて古典的ながら、全身を使う手法は多くの人を魅了する。特におばあさん・酔っ払いネタはリアルさとボケ具合がマッチし、真に迫る演技は圧巻の一言。

代表的な作品・ネタはバカ殿様、変なおじさん、ひとみばあさん、ご存知じいさんあさんのばあさん。

マイナーどころのネタはデシ男、イエイエおじさん、いいよなおじさん。


2006年には志村けん一座を旗揚げし、舞台「志村魂」を決行。



小学校の教頭という父親の職業柄、厳粛な家庭で育つ。本人曰く「暗い家」だったそうだ。その「暗い家」で三木のり平などのコントが流れると家庭が笑いに包まれた。

その事から笑いに対する想いが結晶化していく。

学生時代からモノマネなどで人気者だった彼は、実際に他人を笑わせる事で想いが昇華し、芸人への道を真っ直ぐ目指す。当時、都立久留米高校(現・東久留米総合高校)という有名進学校から大学進学を希望しなかった男子は彼だけだったらしい。学生時代、彼の仕草を真似する子供はたいてい劣等生だった。志村は「劣等生にとってのスター」だった。が、実は彼は勉強ができる人間だったのである。「マジメで小心な性格」でもあるらしい。

当初は「コント55号ドリフターズか迷った」が、当時楽器を使うコントが得意だったドリフターズに、「芸への幅と可能性」を感じたそうで、若干17歳でいかりや長介氏の門を叩く。

笑いの神は、彼の想いを叶えた。

ふさがっていた付き人の座がすぐに開き、「卒業を待ってから」という彼の思惑ははずれ、その一週間後に東北へ巡業について行く事になった。

暮らしは厳しかった。

メンバーの世話と楽器の管理に追われる日々で、給料は月4500円だったそうだ。当時のこの金額がいくらぐらいの価値なのか見当が付き難いが、「靴も買えなかった」という点から異様に安いのだろう。

彼は本当に裸足で過ごしていた時期があったそうで、「女性に会いに行く際、靴がなくて困った」らしく、小道具さんからワラジをもらって、そのワラジを履いて会いに行ったそうだ。それからワラジ生活をしばらく続けていたらしい。

「自分の笑いを作って、いずれ独立する」という夢を持っていた彼だが、24歳の時に大転機が訪れる。脱退した荒井注の代わりとしてドリフターズの一員になる事が決定したのである。

当時、いかりや長介は、誰か別の人材を探していたそうだが、人気・実力をグンと伸ばしてきた加藤茶の「志村がいるじゃないですか?」という推薦があった事もあって決定したらしい(加藤茶本人談)

それから東村山音頭のブレークまでの二年間は「おまえなんか認めない」という空気を感じながらの辛い時期だった。

子供のハートを捉える天才であった加藤茶との息の合った絶妙なコントや、彼特有の細かい人間観察に基づく芸風は瞬く間に日本中を席巻した。

オレたちひょうきん族」が現れるまで、土曜の夜8:00は確かにドリフの天下だった。それは「志村けんがいたから面白かった」といっても絶対言いすぎではないだろう。

その後、ドリフの人気が衰えても、志村けんの人気は衰えなかった。彼の笑いは、世界的にも認められており、特にバカ殿アジアでも大人気。最近ではイギリスでも火がつきそうな気配を見せている。

本人自ら小心者といっているが、実は結構爆弾発言を言う人。

「芸能界のドンって何?誰が決めたの?自分で認めてるってのも変だよ」と大阪ローカルの放送で和田アキ子嫌いを告白したが、現在は関係が良好。なお郷ひろみもキライらしく「金持ちとばっか結婚するのなんで?」と批判していた。

芸に対するこだわりは独自的な考えがある。特に、奇想天外なネタを避けては、ジブリ作品には批判的で、アニメと漫画を極端に嫌う。一方、実写化作品を好んでいる。また、下ネタを好む傾向があり、志村けんのバカ殿様ではAV女優の起用も少なくない。

なお独身貴族で有名だが、これは「仕事と酒中心の生活だから相手が僕を嫌になる」からとの事。ちなみに、かつて同棲していた女性と別れた際「ン千万の慰謝料」を法的にきっちり取られた経験を持つ。