平野謙は、昭和文学の中盤・終盤の局面をリードした批評家の一人だが、ことに中盤(文学史で戦後文学と云われる)においては、同志とともに立上げた雑誌『近代文学』編集の一翼を担ってもいたわけだから、文筆者の肉筆原稿を眼にする機会も多かったことだろう。 その平野謙が、晩年の気楽な随筆のなかで、筆跡について回想している。原稿の文字が達筆だった筆者として、福田恆存と寺田透と、あと誰だったかを挙げていた。記憶が曖昧なのは、福田・寺田のご両名に対して、いかにもさようであろうなぁと、ありあり想像され、あとを忘れてしまったからだ。 学識とバランス。幼きみぎりより聡明にして品行方正。画に描くかの秀才ぶりが、容易に想像…