柴田保光

スポーツ

柴田保光

しばたやすみつ

1980〜90年代に活躍した長崎県出身プロ野球選手。

右投右打、ポジションは投手背番号は41→12→13番。

1957年8月20日長崎県島原市生まれ。島原農業高校では軟式野球の選手として活躍。丹羽鉦電機、あけぼの通商を経て1979年ドラフト2位で西武ライオンズに入団。1年目より先発投手として登板。速球を武器としたが、コントロールに難があり伸び悩み、1985年江夏豊との交換トレードで、日本ハム・ファイターズに移籍。移籍後も先発投手としてローテーションの一角を担う。

1987年、右手の血行障害の影響により、技巧派投手に転向。

1990年4月25日、近鉄バファローズ戦でノーヒットノーランを達成。

1992年、プロ14年目で開幕投手となる。

1994年、後半に戦線離脱。心不全が発覚し、引退登板もせずに現役引退

1995年、日本ハム・ファイターズ投手コーチに就任。

1997年、退団。

その後、Jスカイスポーツ解説者を経て、現在は会社員。1991年雲仙普賢岳の大噴火により故郷の島原が大災害に遭った時には暫くの間試合前に自ら先頭に立って義捐金を募る運動を行なっていた。