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謝花昇

一般

謝花昇

じゃはなのぼる

沖縄自由民権運動の父」とよばれる運動家。1865(慶応元)年に東風平間切(現在の東風平町)の農家で生まれる。

17歳の1882(明治15)年に、県で最初の留学生5名の中に選ばれ、東京学習院へ進む。2年後、級友のほとんどが法律や政治への道を選んだのに対し、郷里のことを考え農業への道を志して農科大学へと移った。


9年にも及ぶ東京生活での学業を終え、沖縄県庁の技師に任命され、県政の改革運動を行う。

だが、翌年、鹿児島出身の奈良原繁が沖縄県知事に任命され、抑圧的な県政を行いはじめる。

謝花は、県庁内で反対運動を行うが、限界を感じ、7年間続けた県庁を辞職。以前から活動に協力していた同志を集めて「沖縄クラブ」を組織し、「沖縄時論」という雑誌を発行。知事の悪政を県民に知らせた。

また、県知事がこのような勝手な政治ができるのは、沖縄選挙権がなく、国会の場に県民の代表である議員を送ることができないからだと考え、沖縄からも国会議員を送ることができるように参政権獲得運動を進めた。

だが、運動の無理のためか、1908(明治41)年、43歳の若さで、死去。


彼の死後8年たって、条件付きながらも沖縄参政権が確立された。本土より22年遅れての施行であった。