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狩野山雪

アート

狩野山雪

かのうさんせつ

天正17年(1589)または18年(1590)〜慶安4年(1651)

肥前の国の武士、千賀道元の子として生まれる。

名は充家、通称は平四郎、縫殿助。号は蛇足軒、桃源子など。

大坂へ移住後、6歳で父と死別。狩野永徳の高弟、狩野山楽の門に入り、後にその養子となる。

寛永8年(1631)には山楽とともに妙心寺天球院方丈障壁画を製作する。

同12年に山楽が没すると家督を継ぎ、京狩野二代目となる。58歳で法橋に叙せられるものの、慶安年間にトラブルから一時獄中の人となり、九条家により助命されたが、ほどなく没した。

漢学の教養を身につけ、蔵書家でもあり、自らも多くの著作を残した。

『本朝画史』は、山雪の草稿をもとに息子の永納が書き足した、日本初の本格的な画家伝である。