『創建の由緒は不明であるが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられている[2]。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。 元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、そこに遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷…