Hatena Blog Tags

寿陵余子

(読書)
じゅりょうよし

寿陵余子(じゅりょうよし)とは寿陵に住む若者という意。昔、中国の寿陵(じゅりょう)という田舎町に住む若者が趙の首都であった邯鄲(かんたん)の人々のスマートな歩き方に憧れて上京してその歩き方を学んでみたものの、ものにするどころか本来自らの寿陵の歩みを忘れ去って七転八倒、這いずりながらやっと寿陵へ帰り着くことが出来た。理論家の公孫龍(こうそんりゅう)ですら荘子の哲学をものに出来ないことを皮肉った『荘子』「秋水篇」にある説話。

芥川龍之介は自分を寿陵余子に準えてペンネイムにも用いたのみならず遺稿『歯車』三夜にそのことを記している。ただしなぜか芥川ともあろう人が韓非子と荘子を勘違いしている。以下、芥川龍之介 「歯車」三夜より。

 僕は丸善の二階の書棚にストリントベルグの「伝説」を見つけ、二三頁づつ目を通した。それは僕の経験と大差のないことを書いたものだつた。のみならず黄いろい表紙をしてゐた。僕は「伝説」を書棚へ戻し、今度は殆ど手当り次第に厚い本を一冊引きずり出した。しかしこの本も挿し画の一枚に僕等人間と変りのない、目鼻のある歯車ばかり並べてゐた。(それは或独逸(ドイツ)人の集めた精神病者の画集だつた。)僕はいつか憂欝の中に反抗的精神の起るのを感じ、やぶれかぶれになつた賭博狂のやうにいろいろの本を開いて行つた。が、なぜかどの本も必ず文章か挿し画かの中に多少の針を隠してゐた。どの本も?--僕は何度も読み返した「マダム・ボヴアリイ」を手にとつた時さへ、畢竟(ひつきやう)僕自身も中産階級のムツシウ・ボヴアリイに外ならないのを感じた。・・・・・・
 日の暮に近い丸善の二階には僕の外に客もないらしかつた。僕は電燈の光の中に書棚の間をさまよつて行つた。それから「宗教」と云ふ札を掲げた書棚の前に足を休め、緑いろの表紙をした一冊の本へ目を通した。この本は目次の第何章かに「恐しい四つの敵、--疑惑、恐怖、驕慢(けうまん)、官能的欲望」と云ふ言葉を並べてゐた。僕はかう云ふ言葉を見るが早いか、一層反抗的精神の起るのを感じた。それ等の敵と呼ばれるものは少くとも僕には感受性や理智の異名に外ならなかつた。が、伝統的精神もやはり近代的精神のやうにやはり僕を不幸にするのは愈(いよいよ)僕にはたまらなかつた。僕はこの本を手にしたまま、ふといつかペン・ネエムに用ひた「寿陵余子(じゆりようよし)」と云ふ言葉を思ひ出した。それは邯鄲(かんたん)の歩みを学ばないうちに寿陵の歩みを忘れてしまひ、蛇行匍匐(だかうほふく)して帰郷したと云ふ「韓非子(かんぴし)」中の青年だつた。今日の僕は誰の目にも「寿陵余子」であるのに違ひなかつた。しかしまだ地獄へ堕ちなかつた僕もこのペン・ネエムを用ひてゐたことは、--僕は大きい書棚を後ろに努めて妄想を払ふやうにし、丁度僕の向うにあつたポスタアの展覧室へはひつて行つた。が、そこにも一枚のポスタアの中には聖ヂヨオヂらしい騎士が一人翼のある竜を刺し殺してゐた。しかもその騎士は兜(かぶと)の下に僕の敵の一人に近いしかめ面(つら)を半ば露(あらは)してゐた。僕は又「韓非子」の中の屠竜(とりゆう)の技(ぎ)の話を思ひ出し、展覧室へ通りぬけずに幅の広い階段を下つて行つた。

【追記2010年12月25日】Twitterで全く見ず知らずの方からこの文章は「袴谷憲昭『仏教入門』の冒頭のテキストと奇妙な既視感をおぼえがしかし確実に異なるものだ」というご指摘を戴いた。私としてはブログにもあるように参考文献としてあげてさらに芥川の取違いに留まらず漢で評価されずに始皇帝に評価された韓非子と自己を忘れた寿陵余子を重ねた芥川の「為他知而故犯」ではないかと付け加えているつもりだった。とは言えその方の指摘は全く的を得ているのでココに深く謝意を表し、私の不覚をお詫びさせていただく。

仏教入門 [単行本]袴谷 憲昭 (著)アマゾンリンク
↓↓↓↓↓
http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%85%A5%E9%96%80-%E8%A2%B4%E8%B0%B7-%E6%86%B2%E6%98%AD/dp/4804330623/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1293366622&sr=1-2

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ