宝永2年2月10日。未(午後1時)過ぎ、駿河町下から火が出る。火元は小普請組上野作兵衛控の借家に住むすぶた権左衛門という古かね(金)屋であった。2町(1町は約109メートル)ほど先まで東へ火の粉が飛んでいく。両側6,7町あまりが残らず消失する。奥田町なども残らず焼失する。側足軽頭の下屋敷なども焼く。申刻(午後3時)過ぎにおさまる。目付鈴木安太夫のところはひどく燃えてしまう。僕などが片付けているところへ津田九郎兵家老栄(サカ)尾八右衛門という者がやって来てその様子を覗いていたので、安太夫はきつく八右衛門を叱りつける。八右衛門もまた言い返したので、八右衛門は九郎兵に預けられる。安太夫若党1人も焼死…