純潔馬鹿女

一般

純潔馬鹿女

じゅんけつばかおんな

 純潔馬鹿女、もしくは縮めて純潔女、とは性に厳格で、男性に対して簡単に体を許さない女への蔑称である。とりわけ、『結婚まで純潔を守る』などという女性にはこの蔑称がつきやすい。男尊女卑で、かつオスのセックスの自由がおおっぴらに認められている場合、すなわちメスの性的資源管理権を有する庇護者(多く父系や母系の家長たる男性)とメスとセックスしたいオスとの力関係が後者に有利な場合、オスが複数のメスと何回か連れ添った後、気に入ったメスをパートナーに選ぶことになりやすいが、その場合、付き合っていてもまだ結婚していない状態ではセックスを許さない女と付き合うことは、オスにとってはリターンが少なく、リスクの大きい行為であり、せっかく付き合ってもセックスできずに分かれてしまうことになることが出てくる。とりわけ若いオスにとっては、付き合ったメスとセックスできない状況への肉体的・精神的負荷は高い。メスに逃げられず確実にセックスを経験するためには、付き合ったらなるべく早く性経験できるメスを探すことになり、上のような性に厳格な、簡単に体を許さないメスは、忌避される傾向が生じる。この場合、男尊女卑の論理からすれば、『純潔馬鹿女』は、『生意気にも純潔などと言って男に体を許さない、自分を高値で売りつける生意気な女』となる。

 また、純潔馬鹿女の名称は、男性に対して禁欲を説く女に対する蔑称ともなりうる。この場合、単に自分が安易にセックスをさせないだけでなく、男性に対して結婚までセックスをしないのは当たり前などと説き、はなはだしきはオナニーを戒め、ポルノ閲覧を咎めるなど、歴史的にも根拠がない似非保守的な純潔思想を男性に押し付ける女性であるとして、男尊女卑の立場からは、男性の性欲の権利を妨害する生意気な女として激しい憎悪の対象となる。売春禁止を支持する女性に対しても、その理由の如何によっては純潔馬鹿に値するとしてこのような憎悪が向けられうる。

 キリスト教暦2000年代初頭の、自称先進国では、結婚年齢が、ホモ・サピエンス生物学的に適切な繁殖開始時期から2倍近くに跳ね上がった為に、いっそう『純潔馬鹿女』はオスにとって高いリスクを持つメスとなり、より嫌われるようになった。

 純潔馬鹿女と反対に、性に活発で、男性に対して簡単に体を許す女への蔑称ヤリマンである。オスからして、『純潔馬鹿女』と『ヤリマン』は共に一長一短であるため、男尊女卑の社会でも、どちらをより忌避し、どちらをよりましなものとするかは時代によって、地域によって、個人によって、また場合によって異なってくる。ホモ・サピエンスのオスの性的嗜好には、傾向として、性的に価値の高いメス達と多く交尾し、かつ彼女達が自己にとって性的に価値の高い間、彼女達を独占することを理想とするというものがある。これに照らせば、『純潔馬鹿女』は落とすのが難しいが、守るのは比較的簡単であり、『ヤリマン』は手に入れることは比較的簡単でも、占有することは難しい。『純潔馬鹿女』と『ヤリマン』の両者から、オスにとって都合の悪い点のみを抽出して持っているメスは、オスをよく吟味し、良いオスでない限り自分を安売りせず、かつ結婚しても貞操などにはこだわらず必要な場合は不倫、離婚を躊躇なく行えるメスとなる。逆に両者から、オスにとって都合の良い点のみを抽出して持っているメスは、性に活発で忌避感を持たず、かつ体を許した後はそのオスに従順で不倫しないというメス、極言すればそのオス専属の『女奴隷』となる。このようなオスにとって都合の良い(だけの)メスはギャルゲーエロゲー、エロ小説など、オスの性的欲求をとことん追求し、叶えることに特化したメディアコンテンツでよく登場する。

 フィクションの中に現れる『純潔馬鹿女』の例としては、まほろまてぃっく安藤まほろや、D.C.2の朝倉音姫などが挙げられる。オスの性的欲求を満たすために特化したメディアで純潔馬鹿女が現れる場合、彼女たちは単に『ウザイ』邪魔者として扱われることも多いが、ヒロインとして描かれた場合、彼女たちの『純潔馬鹿』で『ウザイ』貞操への信仰や性的な潔癖性を粉砕し、魅力的な肉体を使って主人公(通常男性のプレイヤーが投影されている)がセックスを楽しむことを通じて、擬似的なセックスの快楽だけでなく、男尊女卑的な征服感をも味わう設定になることがある。あるいは最初から純潔馬鹿女を礼賛する純潔馬鹿男をターゲットにすることもある。

 純潔馬鹿女と(通常一方的に)みなされた女性は、ヤリマンと(通常一方的に)みなされた女性同様、セカンドレイプの被害に会うことがある。例として『お前が性に厳格だから相手の男が我慢できなくなってレイプされたんだ』などというものがある。これはヤリマンと(通常一方的に)みなされた女性に対する『お前が性に放縦だから相手の男が調子に乗ってレイプされたんだ』というセカンドレイプの言説と鏡合わせとなる。

 純潔馬鹿女と一方的に決め付けられる女性には、修道女や尼僧なども含まれる。もっとも、実際は修道女や尼僧は修道士や男性僧侶の性欲の捌け口にされることもあるので、歴史上の事実としては必ずしも『純潔』というわけではない。