凡人です。 西田幾多郎氏曰く「純粋経験においてはいまだ知情意の分離なく、唯一の活動であるように、またいまだ主観客観の対立もない。(途中略)見る主観もなければ見られる客観もない。あたかもわれわれが微妙なる音楽に心を奪われ、物我相忘れ、天地ただ嚠喨(りゅうりょう)たる一楽声のみなるがごとく。」 参考)濱井修監修:改訂版 倫理用語集;山川出版社;p-170 昨日、自分自身の自然との対話について気になり、さっそく「純粋経験」たるやどのようなものかと、少し書を読んでみました。大熊玄氏の「善とは何か」、西田幾多郎氏の「善の研究」を同時に読みながら、自分自身の経験の内容を照らしています。 現状では、まだ文章…