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純粋詩

読書

純粋詩

じゅんすいし

la posie pure [仏] 基本的には詩から詩以外の要素を排除するという詩観で、マラルメの詩論『詩の危機』やポール・ヴァレリーがルシアン・ファーブル詩集『女神を知る』のために書いた序文で一般化した。1925年1月、歴史家でありまた批評家でもあるアンリ・ブレモンが純粋詩に関する講演を行い、いわゆる「純粋詩論争」が起こった。ブレモンはその論旨を、ポーの詩論や、ペイターの「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧れる」という音楽説によりながら展開したが、ブレモンの反知性主義は批評家チボーデの反論を浴びた。ブレモンによって純粋詩の詩人とされたヴァレリーは、論争に直接参加はしなかったが、自分にも「いささかの責任のある」ことを認め、間接的に参加した。しかし、前記の『女神を知る』の序文や、彼の講演「純粋詩」によれば、詩は主知的な構成を第一とし、純粋詩はあくまでも詩の立場を守る絶対詩la posie absolueに置き換えらるべきもの、というのがヴァレリーの立場である。

また、韻律を廃した自由詩も純粋詩と呼ばれ、フアン・ラモン・ヒメネスによって確立された。