〇下田歌子 (1854~1936) 明治から大正期の教育者、歌人。美濃国恵那郡岩村(現岐阜県恵那市)生まれ。女性教育の先覚者で、実践女子学園の基礎を築いた。出生名は平尾鉐(せき)。明治維新後東京に出ると、1872年に女官に抜擢され宮中に出仕。分家の家で身につけた礼儀作法や学識、和歌の才能で皇后、美子から寵愛され、「歌子」の名を賜る。1879年に剣客の下田猛雄と結婚し、宮中出仕を辞す。夫の死後華族女学校の教授に迎えられた。その後も宮中と関わりながら、女子の地位向上、生活改善のため教育の重要性を意識し、実践女子学園はもちろん、順心女学校(現順心広尾学園)や日本女子大学の創設に関わった。 <下田歌子…