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徐庶

一般

徐庶

じょしょ

中国後漢末期から三国時代の魏にかけての武将・政治家

初めの名を徐福、字を元直といい、潁川出身。(生没年不明)

家は貧しかった。

若い頃、撃剣を好んで使っていたためか、人に頼まれて仇討ちをした事があった。役人に捕らえられたが、友人に助けられ、その後は勉学に励む。


董卓連合が発足し、戦火が郷里に及ぶと、母を連れて荊州へと逃れる。

そこで諸葛亮と出会い親しくした。

劉備荊州に寄ると、自ら出向いて劉備に仕える。

また、諸葛亮を推薦する。


曹操軍が攻めて来ると、劉備軍は民を連れて逃げたが、その乱戦のなか、母が捕虜となる。

それで、劉備の元を去って曹操に仕える。


魏では、右中郎将、御史中丞まで昇った。

晩年に、徐福から徐庶に変名する。(理由不明)

諸葛亮の北伐の数年後に病没。

演義では

単福(ぜんふく)を名乗り、軍師を探していた劉備仕官曹仁軍を打ち破るものの、同郷の程イクの偽手紙によりやむなく劉備の元を離れる。

去り際に本名と「臥竜」が諸葛亮であることを明かし、自らも諸葛亮のもとを訪れ劉備への仕官を勧めたが、冷たくあしらわれた。

諸葛亮劉備仕官した後は、彼の軍略の危険性を曹操に説いた。赤壁の戦いでもホウ統の連環の計を看破したが、反乱鎮圧の名目で陣中を去ったのを最後にフェードアウト。