昭和42年7月豪雨は、1967年7月8日〜7月9日にかけて、佐世保、呉、神戸市で大きな被害をもたらし、特に佐世保では1時間125mmの降水量を記録した豪雨の気象庁による命名。
本州の南岸に停滞していた梅雨前線に、台風第7号から変わった熱帯低気圧から暖湿気流が流れ込み、北からは冷たく乾いた空気が流れ込んで前線の活動が非常に活発となった。9日には、熱帯低気圧から変わった温帯低気圧が前線上を九州北部から関東まで速い速度で進んだ。
8日に前線近傍で雷を伴った強い雨が集中的に降り、9日には温帯低気圧が通過して、さらに強い雨となった佐世保(長崎県佐世保市)で125mm、福江(長崎県福江市)で114mmの1時間降水量を観測、呉(広島県呉市)や神戸でも70mmを超える大雨となった。
2日間の降水量も佐世保、呉、神戸などで300mmを超え、これらの三市を中心に甚大な災害が発生した。
背後に山地がある都市部で大雨となったため、土砂崩れや鉄砲水が多発し、人的被害や土木関係の被害が非常に多くなった。
など