松平定信

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松平定信

まつだいらさだのぶ

老中首座・陸奧白河藩藩主(1758-1829).

父は御三卿の一人田安宗武,祖父は8代将徳川吉宗.幼名は賢丸(さだまる).号は楽翁.10代将徳川家治の世子に望まれるが,田沼意次らにより白河藩(久松氏)へと養子に出される.

1783(天明3)年に家督相続,1787年に老中首座となる.翌年,将軍補佐役となり,祖父の享保の改革を手本として寛政の改革を実行するが,尊号事件*1大奥への締め付け策のために1893(寛政5)年に辞職.

白河へ戻った後,藩校立教館の充実,『白河風土記』編纂,一般庶民のための教育施設である敷教舎設立などの文教政策に尽力したほか,南湖の魚介養殖奨励など殖産興業も行った.1812(文久9)年隠退.

著書には自伝『宇下人言』,随筆『花月草紙』など138部以上もある.

*11789年に光格天皇が実父の典仁親王太上天皇の尊号を贈ろうとして,松平定信に拒絶され,幕府批判の公卿が処罰された.尊号一件とも言う.