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上田卓三

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スポーツ

上田卓三

うえだたくぞう

1948年7月12日 - )

福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴・人物

原貢が監督を務めた三池工業高校の出身で、1965年の第47回全国高校野球選手権大会に2年生ながらエースとして出場。初戦からの全5試合で完投勝利(※銚子商業高校との決勝戦では、完封勝利)を収め、この大会の優勝投手となった。

1966年秋、第1次ドラフト1位指名で南海ホークスへ入団。ここでは、リリーフを中心に活躍した。

その後、1975年オフに阪神タイガースへ金銭譲渡されるも、1977年暮れに金銭トレードで南海ホークスに復帰。1978年オフに現役を引退した。スライダー、カーブ、シュート、チェンジアップが武器。

引退後は南海ホークスのフロントに所属し、管理部や編成部のスタッフを務めた。

球団が福岡に移転し、「福岡ダイエーホークス」とチーム名が変わった後も、フロントの業務に従事した。

現役時代の愛称は、「ジージョ」(耳が大きいことから、トッポ・ジージョになぞらえられた)。

通算で被満塁本塁打を5本記録しているものの、満塁本塁打を打たれた試合でのチームの勝敗は4勝1分の負け知らずで、宇佐美徹也はその幸運ぶりを「神がかりともいうべき珍記録」と評している。

一般

上田卓三

うえだたくみ

衆議院議員 元部落開放同盟?委員長

1938年6月24日大阪市東淀川区被差別部落(日之出地区)に生まれる。

1976年 衆議院選挙社会党公認で旧大阪四区より出馬初当選

1988年、リクルート事件での元秘書関与の疑いで議員辞職。

1990年衆議院選挙で再び当選。

1993年衆議院選挙で落選し引退

1994年 部落解放同盟書記長就任

1996年 同委員長に就任。

2005年 没

 大関旭国の大阪後援会長をやっており、モンゴルの青年(旭鷲山ら)を大島部屋に紹介した人でもある。