プロ野球選手(外野手)。、指導者、解説者。
1952年4月26日生まれ。大阪府大阪市東成区出身。右投左打。旧名「新井鐘律」*1。
現役時代は70年代から80年代にかけて活躍。リーディングヒッター、バント・バスターの名手としてホークスを支えた。バファローズ移籍後は大石大二郎との1,2番コンビで活躍。いてまえ打線を牽引し、1988年の快進撃や1989年のパ・リーグ優勝に大きく貢献した。
1987年にはオールスターに初出場。打率.366で首位打者を獲得。当時のパ・リーグ記録となる184安打*2を記録した。
1992年7月8日のオリックス・ブルーウェーブ戦で通算2000本安打を達成。また、同年通算300犠打を達成。いぶし銀の2番打者として安打を量産し、体のブレがない教科書通りのフォームを持ち、コンパクトなスイングで鳴らした。
1979年に打率.358、1982年も打率.315と高打率を残しながらを残したが共に2位に終わり、タイトル獲得はならなかった。
1992年に現役引退し解説者に転身。マスターズリーグ・大阪ロマンズの選手として活躍。1994年からは指導者の道を歩み始め、ブルーウェーブではイチロー、田口壮、ホークスでは村松有人らを育てた。日本プロ野球界屈指の名打撃コーチに数えられる。コーチの時の背番号は69か81以外着用していない。
年度 | 所属 | 背番号 | 備考 |
---|---|---|---|
1968-1970 | PL学園高校 | - | 甲子園出場あり |
1971-1974 | 法政大学 | - | 野球だけでなく、実際の学問に対しても勤勉であった |
1975-1985 | 南海ホークス | 6 | 1974年ドラフト2位 |
1986-1992 | 近鉄バファローズ | 9 | 山口哲治との交換トレード |
1994-2001 | オリックス・ブルーウェーブ | 69 | 打撃コーチに就任 |
2003-2004 | 福岡ダイエーホークス | 81 | 打撃コーチに就任 |
2005-2006 | オリックス・バファローズ | 69 | チーフ兼打撃コーチに就任 |
2007-2008 | 福岡ソフトバンクホークス | 81 | 一軍打撃コーチに就任 |
2010- | オリックス・バファローズ | 81→69 | 二軍監督 |