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新井白石

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新井白石

あらいはくせき

江戸中期の儒学者政治家(1657〜1725).

上総国久留里藩藩士新井正済(あらいまさなり)の子.名は君美(きんみ),白石は号,字は在中・済美,通称は与五郎・伝蔵・勘解由.

久留里藩に仕えた後,牢人となる.1693(元禄六)年に師である朱子学者木下順庵の推挙で甲府藩主徳川綱豊の侍講となる.綱豊が六代将徳川家宣として将軍に就任すると,幕政に参画.家宣死後も七代将軍家継を補佐して正徳の治を断行.武家諸法度改訂・貨幣改鋳・正徳長崎新例施行・朝鮮使節応接簡素化*1などを行うが,家継没後,徳川吉宗が将軍に就任すると失脚.

失脚後は著述に専念.朱子学を基本として言語学歴史学にも長じ,『東雅』『古史通』『読史余諭』は代表的著作.また,密航してきたイタリア宣教師シドッティの取調べ結果などをもとにした『西洋紀聞』『采覧異言』などの著作は洋学への途を開くものであり,『折りたく柴の記』や『藩翰譜』など,こんにちの幕政史研究の必須書も著す.

*1:この際に,同じく木門の対馬藩儒学者雨森芳洲と論争を繰り広げた.