秦真司

スポーツ

秦真司

はたしんじ

プロ野球選手・指導者。登録名「はた*1」。

右投左打、ポジションは捕手外野手背番号は26→3→31番。


1962年7月29日生まれ。徳島県出身。

鳴門高校で島田茂バッテリーを組み、春夏連続で甲子園に出場。

卒業後、法政大学に進学。1984年ロサンゼルス五輪金メダルを獲得。

1985年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。

1988年、一軍に昇格。同年より、八重樫幸雄の後を受け継いで正捕手として活躍。

1990年古田敦也の入団後は打撃を活かして外野手に転向。7番打者・右翼手に定着。

流れるような美しいスイングで左打者の手本と呼ばれた。

1992年、日本シリーズ第6戦で、潮崎哲也から打ったサヨナラ本塁打は印象深い。

4度のセ・リーグ優勝と3度の日本一の大きく貢献。スワローズ黄金時代を支えた。


1997年以降は稲葉篤紀の台頭もあり、左の代打の切り札として活躍した。

スワローズ時代の応援歌である、

「狙え真司一発 ホームラン みんなが待っている それスタンドへ」は名曲であり、アマチュア球界に流用された。


1999年、日本ハム・ファイターズに移籍。外野手として出場。

2000年、千葉ロッテマリーンズに移籍。内野手としても出場した。

同年、現役引退。20世紀最後の公式戦において、引退試合を行った。

2001年、千葉ロッテマリーンズの二軍打撃コーチに就任。

2002年、シーズン途中に一軍打撃コーチに昇格。同年、退団。

退団後は格闘家への転身を目指していたが、怪我のために断念した。

野球解説者の側ら、マスターズリーグ札幌アンビシャスの選手として活躍。


2005年、中日ドラゴンズバッテリーコーチに就任。

2006年、退団。

2008年、BCリーグ群馬ダイヤモンドペガサスの初代監督に就任。


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*1:1994年、子供が読みやすいように「秦」を「はた」と平仮名表記にした。