第54代天皇。諱は正良。御陵の在所から深草帝とも。
嵯峨天皇の第二皇子。母は橘嘉智子(橘清友の娘。奈良麻呂の孫。逸勢は「いとこ」。)
桓武天皇の孫。
淳和天皇の皇后・正子内親王の同母兄。
在位833年2月28日〜850年3月21日
当初、淳和天皇の第二皇子である恒貞親王を皇太子に立てたが、磋硪上皇崩御の直後に廃し、子の通康親王(後の文徳天皇)を皇太子に立てた。(承和の変)これにより平城天皇以来続いていた、皇位を兄弟とその息子が交替して相続する王統の迭立の原則が崩れ、嵯峨―仁明―文徳の直系王統が成立した。
なお、嵯峨天皇、淳和天皇、仁明天皇三代の治世を「崇文の治」と呼ぶ。