宮城県石巻市の渡波(わたのは)という町には江戸時代から昭和34年まで塩田があった。 この塩田は江戸時代には仙台藩における塩の約37%を製塩していた。昔の渡波は漁業と塩業の両方でかなり活気があったらしい。 昔の製塩は、濃縮させた海水を釜で煮詰めて塩の結晶を得る方法である。この製塩法は機械化により昭和30年代に終焉を迎える。日本各地の塩田がこの時期に廃止になっている。 私の実家がある場所は旧町名を明神釜という。この地名は海水を煮詰めるための釜に由来すると思われる。古い航空写真を見ると実家がある場所も昔塩田だったことが確認できる。 流留渡波塩田は昭和34年に廃止になるが、その跡地は昭和50年代が終わ…