杉山茂丸

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杉山茂丸

すぎやましげまる

1864年福岡生まれ、号は其日庵夢野久作(本名・杉山直樹)は子。

自由民権運動頭山満と出会い玄洋社結成を助ける、日露戦争中にレーニン帰国を計画し成功させるなど、明治維新以後の内外の大事件や運動にいろいろと関係している。しかし公職につくことはなく、あくまで黒幕として政財界でたいそう権威をふるった。

また少年時代から義太夫節をこよなく愛好し、大阪在住の1881年に二世竹本越路太夫(のちの竹本摂津大掾)に入門し稽古をはじめてから玄人もおよばぬほどの情熱で研究につとめた。その研究成果はみずから主宰する台華社の機関紙『黒白』に連載され、のちに『浄瑠璃素人講釈』と題してまとめられた。

1935年死去。東大医学部の標本室には杉山茂丸とその妻の骨格標本がならんでぶらさがっている。

(以上の記述にあたり『ノーサイド』1994年8月号所収の福田和也による署名記事と井野辺潔『日本の音楽と文楽和泉書院を参照した)