18世紀初頭北方戦争に勝ち、ロシアが正式に東ローマ帝国の後継と認められてから、19世紀初頭にナポレオン一世が、それまで欧州では東西ローマ帝国の後継国家しか名乗れない『帝国・皇帝』のルールを曲げて、自ら皇帝になり『フランス第一帝政』が成立するまで、当時の欧州で『帝国』と認められていた七つの領域(当時の神聖ローマ帝国は名ばかりであったためあえてこう書く)。
実質、欧州の王国・大公国・公国・選帝侯国の上位互換。
神聖ローマ帝国
ロシア帝国
オスマン(トルコ)帝国
イラン(サファヴィー朝滅亡後の混乱時代)
インド(ムガール帝国)※1707年にアウラングゼーブ帝死は領土縮小の一方の上、諸侯がプラッシーの戦いで英国に大敗
中国(清朝)
日本(天子様ではなく欧州では、征夷大将軍を皇帝と見られていた。)