・正長1年(1428) 7.28 彦仁王は践祚した(後花園天皇)。(『満済准后日記』『椿葉記』) ・1432年 1. 明の宣宗,朱瞻基は、長い間日本より使者が来ないことを気にもんで、琉球を通してその由を日本に伝えた。(『明史』日本) ・永享4年(1432) 上杉(藤原)憲実は円覚寺より禅僧の快元を招いて庠主とし、足利学校を再興した。 ※快元は易学の大家であった。講義内容は儒学が主であったが、特に『易』を学ぶ易学が重視された。合戦においては、吉凶を占うことが必要であったからである(呉座勇一『日本中世への招待』)。 ・?年 明の宣宗,朱瞻基の時代のはじめ、室町幕府の朝貢に関する取り決めは変えられ、…