瀬尾光世

アニメ

瀬尾光世

せおみつよ

略歴

  • プロキノで線画を担当した後、京都政岡憲三のもとでトーキーアニメーションを志す。
  • 1933年には独立して日本漫画フィルムを興す。人気のキャラクター「お猿の三吉」(1934年)や「のらくろ」を次々と映画化。
  • 1937年には記録映画でも名高い芸術映画社に入社した。アリの子どもの改心を暖かく描いた秀作『アリチャン』(1941年)は、後輩、持永只仁が開発した四段多層式(マルチプレーン)の撮影台を使用して作られた最初の映画として知られる。
  • 中編『桃太郎の海鷲』(1942年)は真珠湾攻撃をモデルとした少国民向けの国策映画。総スタッフはたった4人だった。
  • 日本初の長篇作品『桃太郎 海の神兵』(1945年)は、100人近いスタッフを起用した大作。落下傘部隊のシーンのため実際の動きを徹底研究し、国産アニメで初めて透過光を使用するなど、リアリズムの表現が特徴的である。
  • この『海の神兵』で「燃えつきてしまった」と語った瀬尾は、『王様のしっぽ』(1949年)を最後にアニメの仕事を離れ、瀬尾太郎の筆名で絵本作家となった。
  • 敗戦後、『桃太郎 海の神兵』のフィルムは焼却されたとされていたが、1982年松竹の倉庫からネガフィルムが発見され、1984年に再公開された。その際、戦争協力の是非を問われて「積極的に時局に便乗したわけではない。今の若い人には理解してもらいにくいが、拒否できなかった」(毎日新聞8月17日)と答えている。
  • 2011年死去。

桃太郎・海の神兵 [VHS]

桃太郎・海の神兵 [VHS]