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清原元輔

読書

清原元輔

きよはらのもとすけ

平安時代中期の歌人三十六歌仙の一人。

延喜八(908)年生、永祚二(990)年没。

内蔵大允清原深養父の子とも、深養父は祖父であり父は下総清原春光ともいわれる。娘は清少納言清少納言の出仕していた時期には、元輔の歌人としての名声が清少納言のプレッシャーともなっていたらしく、

その人ののち*1といはれぬ身なりせば今宵の歌はまづぞよままし

つつむことさぶらはずは、千の歌なりと、これよりまづまうで来まし

と『枕草子』第九十九段でも述べている。

天暦五(951)年に村上天皇により梨壷の五人の一人として選ばれ、『後撰和歌集』の撰進と万葉集訓点に従事。官途としては、天元三(980)年に従五位上、寛和二(986)年に肥後守となり、そのまま任地で没した。

家集は『元輔集』

*1:この歌の前に、中宮定子により、「元輔の後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる」と詠まれていた。