
1901年-1979年。古陶磁器研究家、装丁家、評論家。東京市麻布区(東京都港区)の大地主の家に生まれる。生家は徳川家に重臣として仕えた青山家。浜田庄司、柳宗悦などと日本民芸運動の設立に関わるが、後にしりぞく。弟子・友人は数多く、北大路魯山人、中原中也、河上徹太郎、三好達治、中村光夫、宇野千代、大岡昇平、白洲正子など輝かしいメンバーとの交友は、後年「青山学校」とまでいわれた。特に関係の深かった小林秀雄は「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」と語った程(後に絶交)。戦前から戦後にかけて古美術・骨董の世界を中心に、日本的な美学の形成にきわめて大きな影響をもたらした。
彼の残した数少ないエッセイや美術評論は、身も蓋もないが、また他に比類のない個性がある。一般に悪文として知られるが、見えすぎる目を持つことの狂気、ものいわぬモノが語り出す旋律と戦慄が共存するギリギリの美の世界。比類なき面白さと贅沢。
資料リスト
参考文献:
収録の「 見えない洲之内、見るだけの青山」は傑作。
青山二郎の素顔―陶に遊び美を極める
(上記リストは現在入手可能なもののみ記載)